シャルロッテとマルセル2 シャルロッテの求めた青年

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 月明かりで、不思議な影ができている。四角くて、大きい。シャルロッテのものではない。何個も連なっている。森から一歩も出たことのなかったシャルロッテには、それが道の両端に建つ家々の影であると気がつくのに時間がかかった。
 シャルロッテが人間の町に降りて、彼女のお目当ての青年はすぐに見つかった。シャルロッテは本当はすぐにでも声をかけたかったが、どうしても緊張してしまってかける言葉が見つからない。声をかけたとして、どうやって会話していいのかわからなくなるほどに、胸がいっぱいになっていく。
 シャルロッテは結局、付かず離れず、足音を立てないよう青年に付いて行くことしかできなかった。次の晩も、次の晩も、同じようなことが続く。
 四日目の晩、カリンに体を縮めてもらって町に降りていく途中、今までの観察の成果を頭の中で整理していると、森の丘から見ていた時には気が付かなかったことがいっぱい分かった。彼は色々な家に入り込んでは荷物の量を増やして出てくる、そしてたまに狭い小路に隠れるように忍んで、膨らませた荷物の中から食べ物を取り出して食事をしているのだ。
 きっと今晩も彼は同じようなことを繰り返し、自分は後ろを付いて行くのだろう。それでは、自分を認知してもらうことも、触れることもできない。つまり、当初の目的を果たすことはできないが、もうそれだけでも良いような気がしてきた。
 しかしその矢先、レンガ造りの家の角を曲がった途端、シャルロッテは青年を見失った。
「あれ? なんで……」
 青年を見つけ出そうと辺りを見渡してみる。青年が曲がった先には大通りが広がっていて、普通なら見失うなどあり得ない。焦っていたシャルロッテは、もしかしたら青年はもう遠くに行ってしまったのではないかと思い、考えなしに走りだす。
 直後、屋根の上から飛び降りてきた何者かに腕を掴まれた。顔を見ることはかなわなかったが、体格からして男だ。
「痛ッ! 離して!」
 閑散としていた夜の町に、シャルロッテの短い悲鳴が響く。しかし、その口はすぐに塞がれてしまった。
 声が出せない。恐怖で頭の中が埋め尽くされる。力任せに振り解こうとするも、そんなことができるはずもない。今のシャルロッテは、人間の女の子と何一つ変わらないのだから。
「四日前から俺をつけているだろ。なのに捕まえもしない。なんのつもりだ?」
 言われて、ハッとしたシャルロッテは抵抗をやめる。カリンの魔法を使って、青年のあとをつけ始めたのが確かに四日前だ。相手ももう暴れないと判断してくれたようで、口を塞いでいた手をどかしてくれた。
 間違いない。あの青年だ。そう確信して今度は緊張で一気に頭の中が沸騰した。想いを寄せていた青年に、体を密着させられ、拘束されている。そう思えば思うほど、体が火照っていく。今さっきまで肌寒かった夜風が心地よかった。
「憲兵かと思ったが……そうではなさそうなナリだな」
 白を基調とした服に、藍色のデニム製ショートパンツ。見た目はどこにでもいる普通の女の子だ。そもそも、こんな年端もいかない少女が憲兵をやっているなんて話、誰も聞いたことがないだろう。
「だがそれにしては、足音を消すのがうまいな」
 シャルロッテは巨体であるがゆえ、できるだけ森に足音を響かせないように注意して歩かなければならない。静かに歩きまわるのは彼女にとって朝飯前だった。
 とにかく青年と仲良くなりたいシャルロッテは、そんな彼の考察をぶった切って、名乗りを上げる。
「あ、あの、シャルロッテって言うんだ! 私の名前!」
「シャルロッテ? 俺にそんな知り合いはいないが」
「いや、あの、そうじゃなくて、ね……」
 自己紹介をすれば相手も名乗ってくれるものだと教わっていたシャルロッテは困惑した。シャルロッテは青年の名が知りたい。もっと、青年と仲良くなりたい。
「あなたの名前はなんていうの、かなって、えへへ……」
「俺? マルセルだけど」
 青年マルセルがシャルロッテの拘束を解くが、今度はシャルロッテが一向に離れようとしない。自由になったシャルロッテは青年の顔を見た。切れ長ながらも目尻の下がった黒い瞳はどこか頼りなさ気だったものの、話しやすそうな印象を受ける。長めの髪を頭に乗っけた鼻筋の通った顔はシャルロッテにとって、森随一のイケメンと名高いエルマよりもカッコ良かった。
「マルセル……」
「そう、マルセル」
「マルセル……マルセルかあ!」
「なんなんだ……こいつは……」
 青年と触れ合う、青年と話す。二つのことが同時に実行できて、シャルロッテの心は喜びにあふれた。困惑するマルセルを置いてきぼりにしてはしゃいでいる。
 顔をしっかりと見た感じだと、青年の歳は今年十四になったシャルロッテよりやや年上に思えた。だいたい十八、十九といったところだろう。安々と屋根に登ってしまうだけあって細身だったが、その身軽さとは対称的にそこそこ筋肉質な体には、結構な力強さを感じた。
 二人は場所を移し、いつもマルセルが食事を摂っているような小路の階段に並んで腰掛けた。シャルロッテの心臓は、今までにないほどに早鐘を打っている。呼吸も荒い。
 もし巨体のままだったのなら、とてもうるさかったはずだ。でも今はそれを気にする必要がない。本来のシャルロッテの心臓に比べたら、今の彼女の心臓の大きさは太陽と地球ほどの差異がある。そんな小さなものの伸縮する音、誰が気にするというのだろう。誰かいるとしたらそれはせいぜいシャルロッテ自身だ。
 さて、いざとなってみると、やはりというべきかシャルロッテはかける言葉がない。赤くしてうつむいていた顔をあげて隣を見てみると、マルセルは物珍しそうにこちらを見ていた。
 ずっと見られていた! そんな風に思ってしまって、どんどん脈が早くなっていく。
 気を落ち着けようと深呼吸をしていると、ふとマルセルの荷物が目に留まる。こんなにいっぱい、何を持ち歩いているのだろう。
 その視線に気づいたマルセルは、当惑の色を見せつつこんな風に切り出した。
「こんなことでもしなきゃ、生活が苦しいんだよ。暮らしていけないんだ、悪いか?」
「こんなことって何? 何が悪いの?」
 マルセルは自分のしていることを曖昧に濁して説明する。
「あの……ほら、人んちから金や食いもんを持って行ったり……することだよ」
「どういう意味?」
 シャルロッテはマルセルの説明している内容と、その真意が理解できずに首をかしげている。
 それもそのはずで、森の中という閉鎖的なコミュニティで穏便な生活しかしてこなかったシャルロッテの頭の中に、他人のものを盗むといった行為や、ましてや金銭といった概念は存在しない。あの森の中では、薪を必要とする人が勝手にシャルロッテの割った薪を必要なだけ持ち去り、シャルロッテも同じように食べ物が欲しくなったら勝手にエルマの育てた作物や木の実を持ち去るのだ。
 そんなことを知り得ないマルセルは呆れたように、そして開き直って言った。
「俺の親父は、おふくろが死んだら俺を捨ててどっか行っちまった。だから食うもんも買えない。だから盗みを働いてるんだよ」
 その声音には、世界の根本を理解し、そこに希望を見出せないと嘆く静かな心の叫びが、小さく顔を覗かせている。その場限りの間に合わせを繰り返して生きてきている彼にとって、それは当然のことなのかもしれない。
「働いてるんだ、偉いね」
「偉くねえよ!!
 彼の心の叫びに気づくことのないシャルロッテは的外れな答えを返して、見事に哀愁漂う雰囲気を木っ端微塵にした。さすがのマルセルも苦笑いでツッコミ。
 しかし、マルセルは不思議と腹が立ったりはしなかった。むしろ清々しい気分になる。
「盗みってのはだな、悪いことなんだ。俺は悪いことをして生きてるの」
「悪い……こと?」
「そう、悪いこと」
 この日の晩は、それだけ話してマルセルと別れた。楽しく話をすることができたおかげで、魔法の効き目の終わりはいつも以上に早くやってきた。マルセルと話していた時間が惜しくて森へ帰ることに後ろ髪を引かれたが、町で魔法が切れるのは絶対に避けなければならない。
 二時間以上ここに留まって騒ぎを起こしてしまうことは、今後の楽しみを自ら投げ捨てることを意味する。
 今日は青年の名前も聞けたし、どんな仕事をしてるのかも聞くことができた。それで構わない。その余韻を噛みしめながら、森へと帰ろう。
 森にたどり着いた時にはすでに、体は元の大きさに戻っていた。シャルロッテは自分の寝床に戻る前にカリンと出くわして、少しばかり話をした。
「おかえり。なんだか、進展があったように見えるわね」
「うん。あった……」
 思い出しただけで耳の先まで熱くなり、返答が尻すぼみになった。それ以上、言葉は出てこない。
 心臓は自分でも分かるほどに強く拍動している。こういうとき、自分の心臓の音がうるさいのはシャルロッテも自覚済みだ。恐らくカリンも、この心臓の音に気がついているのだろうと思った。
「ねえ、カリン。盗みって何?」
 せっかくなので、シャルロッテは寝る前に博識なカリンに盗みというものについて訊ねてみる。
「盗みねえ。人間の世界は開放的で、その分便利だけど、便利になっていくとそれだけ規律も厳しくなっていくのよ。例えばシャルが割った薪を私がもらうとき、いつも私は勝手に持っていくわ。だけど、この森に人間の世界と同じ規律を用意してしまった場合、それは通用しない。これが、盗みという罪になってしまうから」
「勝手にもらっていくのは、いけないことなの? 私は困らないよ」
「やっても構わなかったことが、してはいけないことに変わってしまう。それが規律というものよ。そして人間は、その規律に縛られながら生きている。便利だけど息苦しい、それが人の世界」
 森の中で必要なものを勝手に持ち去っても誰も困らないのは、持ち去る相手が全員知り合いで、家族だからだ。カリンはそう補足した。
 何かを得るには、何かを捨てなければならない。今回の場合、開放的な世界を手にした代わりに、人間たちは規律に縛られなければならなくなった。
 大きく広がった世界のすべての人々を把握し、家族として認識するのは無理がある。それが分からないシャルロッテは、うむむ……とうなりながら首を傾けていた。
「まあ、自給自足を基本としてる私たちには、少し理解が難しいことよ。私も最初は理解できなかったのだから、シャルにはもっと難しいと思うわ」
「そっか」
 シャルロッテは、カリンの説明が全て理解できたわけではなかったが、確かに、マルセルはとても息苦しそうにしていた気がするなあ、と思う。

 


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