シャルロッテとマルセル5 シャルロッテの家族

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 次の日の朝。シャルロッテが早く起きて薪割りをしていると、カリンが箒に乗って飛んでやってきた。
「おはよう、シャル。今日は早いのね」
「うん。おはよう、カリン。どうかしたの?」
「実は鍋に穴が開いちゃって。何度も直してたんだけど、そろそろ難しくなってきたから町に降りて買いに行こうと思うの。あと新しい布も欲しかったし、あと読みたい本があって……まあ、そういうわけで少し留守にするから」
 シャルロッテたちは、基本的に森で手に入るものだけで不自由しないが、たまに鉄鍋や布など、町でしか手にはいらないものも欲しくなる。とくに、読書が好きなカリンは本なしでは生きていけないと口にすることもしばしば。
「わかった」
「それじゃ、行ってくるわね」
 人間の町、か。
「その、カリン……待って」
 呼び止めるシャルロッテを訝しげに見ながら、箒に跨ったカリンが引き返す。
「なにかあった?」
「あのね、今日の夜でもいいんだけど、話があるの」
 時は変わって夜。まんまるの月が森の中に月光を注ぎ込んでいる。
 買い物に繰り出そうとしたカリンとそんな風に約束を取り付けたシャルロッテは、いつもの時間、やはりカリンの元を訪れていた。
「話というのは?」
 シャルロッテの大きな水たまりのような蒼い瞳に宿る真剣さに気がついたカリンは、彼女と同様真剣に、その内容に切り込んでいく。いつものカリンが作っている柔らかな顔はそこになく、いつになく厳かだった。
「マルセル……あの人間の青年をこの結界に招いてあげてほしい」
「そう」
 厳しそうな顔でぽつんと口にするカリンに、シャルロッテはこの一週間の間にあった出来事と、今に至った経緯を話した。
 初めはなかなか声をかけられず、少し落ち着きのない出会い方になってしまったこと。それでもお互いに徐々に距離を詰めて、向こうが自分を求めてくれるようになったこと。マルセルには家族がいなくて、彼は盗みで生きていくしか方法がないことも、自分と一緒に森で暮らしたいと言っていることも全部話した。
「ふふ、シャルと家族になれるかな、だなんて、とてもロマンチックなプロポーズ」
 昨日の話をしたところで、カリンは凝り固まった表情を穏やかに崩して小さく笑った。
「茶化さないでよ、私は本気なの」
「ごめんなさい、でも茶化してないわよ。つい、ね。素晴らしい感性を持った人間なんだなって思ったわ……うん、とてもいいわね」
「じゃあ……」
 どうもカリンはマルセルの人格と人間性を認めてくれているようだった。それなら、結界の中に招き入れてもらうというお願いも、受け入れてくれるのではないか。そうシャルロッテは思った。
 だが。
「でも、その話を聞く限り、あなたはちゃんと約束を守って、自分の正体も、この結界の中がどうなっているかも、話していないのよね」
 カリンは箒でゆっくりとシャルロッテの巨体を指差しながら、エルマよろしくくるくると飛んで回って下る。頭の先から腰元まで下っていくだけでも、それなりに時間がかかっている。それだけ、シャルロッテの体は大きい。
 そのまま今度は急上昇し、シャルロッテの胸元まで上がってくると、森全体を右手で示しながら言う。シャルロッテもその先……広々とした夜の森を見ながら、その言葉を聞いている。
「あなたはこんなにも大きい。しかもそれだけじゃなくて、この森は人間にとって環境が異なりすぎる。あなたのような体の大きな女の子がいれば、エルマのような体の小さい男の子もいて……そして何より、人間の世界で当たり前のように使われているお金というものが存在しない。そういうものを、私が規律で定めていないから」
「うん」
 未だに、シャルロッテはお金というものが理解できていなかった。だがそれでも、マルセルにとってここが全く違う環境下となることは、彼女にも分かる。お金というものが絶対の力を振るう世界から、そんなものが存在しない世界へ移り住むのは、そう簡単なことではなさそうだ。
「彼はそんな生活の劇的な変化に耐えることができるかしら。そして何より……」
「こんな大きな私を、マルセルが受け入れてくれるか」
 カリンがシャルロッテの巨体を眺めて言葉をフェードアウトさせたのを見て、シャルロッテは大前提を口にした。カリンが無言でうなずく。
 この条件は、絶対に避けて通ることができない。
「私は結界を張り続けることに力を注ぎ続けているから、常にシャルの体を縮めていることはできないし、できたとしてもそれは本当のシャルではない。そんなまやかしのシャルしか愛せないような人間を、ここに招くなんて自分が許せないわ」
「愛す……」
「そう、彼はシャルにシャルが好きだと言って、シャルも彼に好きだといった。そしてお互い家族になりたいと願った。それは、二人が愛しあっていると言えると私は思う」
 このときふと、シャルロッテはつい一週間前に悩んでいた、恋というものについて思い出した。恋とは、そんな悩みぬくほどに難しいものではなくて、愛までの道筋のことなのかもしれない。
 片思いして胸を痛めて、会って話して触りたいと願う。実際に会って、楽しい思い出を共有したり、時にすれ違ったりする。そしてお互いのことを知っていくうちに、いつしか両思いになっていることに気がつく。そんな道が恋なのだと、シャルロッテは知った。
 カリンは声を低くして言う。
「今のシャルの姿を見たときの彼の様子を私が見て、判断を下させてもらおうかしら」
「それは……」
 それは当たり前のことだが、この巨体を、いともたやすく森の形を変えてしまえる自分を、彼の前に晒すということを意味している。
 前の晩、縮んだまま自分の寝床へ向かったときに見た、凄惨の森の様子が頭の中にじわじわと浮かび上がってくる。今にも悲鳴が聞こえてきそうな潰れた木々が視界を埋め尽くし、その中心にぽっかりとひねり空けられた平たい大穴が居座る、無残な光景。あのときの天に広がっていた星の煌きとのミスマッチ感は異様だった。
「シャルと接触したときの彼の反応次第では、あなたと彼の記憶を消し、二度と会うことは許さない。それでもいいわね」
 しかし、これは避けることができないのだ。マルセルを待たせているシャルロッテは、覚悟を決めなければならない。
「わかった、それでいい」
 シャルロッテが承諾すると、カリンは彼女を縮めることなく、結界のギリギリのところまでともに降りた。
 結界の外、少し遠くのほうに、マルセルが佇んでいるのがシャルロッテには分かった。しかし、結界の中にいるシャルロッテがの体長がいくら百メートルを超えているといっても、魔女のカリンの通行許可を得ていないマルセルには知覚することができない。
 こちらからは見えているのに、向こうからは見えていない。それは初めて名も知らぬ頃のマルセルを、森の丘の上から眺めていた時と似たような感覚をシャルロッテに与えた。
「シャルはここで待っていて。私が彼を連れてくる」
「その、カリン…………」
「怖いのなら、やめても構わないわ。今回のことを諦めれば、いつも通り会いに行ったっていい」
 ここまで来て、返答をしぶるシャルロッテに、カリンは優しく言う。しかし、シャルロッテは短く息を吐いて口にした。
「連れて来て。お願い」
「わかったわ。あなたは、座って待っていたほうがいいかもね」
 カリンに言われて、シャルロッテは獣道に狭そうに座り込み、自分から離れていくカリンを見送る。
 カリンはあえて箒を手に持ったまま、シャルロッテを残した結界から出て青年に近づいていく。青年がカリンに気がついたのを見て、彼女は静かに挨拶をし、青年に名の確認をした。
「初めまして。私はカリン。あなたはマルセル?」
「いかにも、俺はマルセルだ」
「私は、シャルロッテの保護者をやっている。話は全部聞いているわ」
「若い母親だな、本当の母親ではないとは聞いているものの……」
「ふふ、お上手」
 実際のところ、カリンはほとんど歳を食っているようには見えないだろう。すでに二世紀ほどこの世を生きているが、ある程度魔法で容姿をいじることができる彼女の見た目は、人間にして二十歳前半辺りだ。
 品定めするようなカリンの視線に、マルセルは少し緊張していた。プロポーズした相手の親代わりが、話は全て聞かせてもらったと言って登場したのだから当然の反応ではある。しかも結界の中にシャルロッテがいることを知らないマルセルにとっては、そのプロポーズした相手本人が不在というややひねくれた状況だ。
「私たちが暮らしている森を、ただの森だと思わないほうがいいわ」
「というと?」
「キミが思っている以上に、森での暮らしは町とは違っている。私は本が好きでシャルよりも町にいる時間が長いほうだけれど、さながら外交官のような気分よ。私たちが暮らす森の中は特別に特別を重ねた異国。これは膨張した比喩じゃない」
「ずいぶんと曖昧な表現だな」
「わかりやすく説明できたら、どれだけ楽なことか」
 確かにカリンの説明は曖昧すぎる。だがマルセルはまさか森の中で人ならざる者たちが暮らしているとは思いもしないだろう。カリンの言っていることは間違っていない。
「さて、マルセルさん。キミはそんな場所で暮らしていく自信がある? 何もかも違うところで、生きていく覚悟はある?」
「……悪いが、シャルと話したい」
 あまりに回りくどいカリンの物言いに痺れを切らしたマルセルは質問には答えず、シャルロッテと会わせるよう要求した。例えシャルロッテと一緒になるためとはいえ、与えられる情報が曖昧なよくわからない世界を想像だけさせられて、そこで暮らす覚悟があるのかなどと訊かれても「はい、あります」とは言えない。
「じゃあ、目を閉じて。そして後悔しないように覚悟しておきなさい。これはキミにとっては、試練となるのだから」
 未だ掴みどころのないカリンに戸惑いながらも、マルセルは指示に従ってまぶたを下ろした。それを確認したカリンは、光を灯した指でマルセルの肌に触れる。その光は染みこむように、マルセルの体の先まで伝っていく。
 月明かりの下、人間の青年マルセルに、結界の通過と知覚の許可が、森の魔女より降りた。
 目を閉じるマルセルの腕を引いて、カリンは足を崩して座っているシャルロッテの元まで歩く。
 自分のすぐそばにまで来たマルセルを見たシャルロッテは、なんて可愛らしいんだろう、と思ってしまった。可愛いなんて言葉、マルセルには似合いもしないはずなのに。
 シャルロッテは自分の心臓が動く音をできるだけ、抑えようとする。
「目を開けて」
「どこにいるんだ?」
 カリンに言われたマルセルがついに目を開ける。カリンとマルセルの二人の目の前には、ただそこに座っているだけのシャルロッテの膝小僧が、肌色の壁として聳えている。これを見てすぐにシャルロッテだと気づけというのは、いくらマルセルでも難しい話だ。
「上よ、高く伸びるこの壁が伸びているもっと先」
 マルセルは視線を徐々に上へと動かしていく。そしてシャルロッテの巨大な顔まで行って、満月に並ぶほどに大きな瞳と目があった。ここまで来ると、さすがにマルセルもこの巨体がシャルロッテそのものだと気がついた。
「な……」
「今、彼は半歩足を引いた。シャルを恐怖したわ」
 有無を言わさず、カリンは見たままを伝えた。
「待ってくれ、俺は怖がってなんて……」
 マルセルが焦りをにじませて否定する。
 同じくシャルロッテも、今にもカリンが記憶を消してしまうのではないかと思って慌てて否定に口を開こうとするが、それはカリンに遮られた。
「まだダメ。さあ、シャル、立ち上がって。あなたはもっと背が高い子でしょ。さあ、早く、彼に見せてあげて」
「うん……」
 シャルロッテは言い返すことができずに、マルセルを視界に捉えたままゆっくりと立ち上がる。彼女の陶芸品のように美しく白い脚が狭い獣道の両脇に生える樹木たちを押しのけて、いくつか倒してしまいながらまっすぐに伸び、その巨体を押し上げていく。
 シャルロッテが動くたびに風向きが変わって、大地は小さく震えた。
 月明かりに照らされる全貌が、少しずつ明らかになっていった。
 視界からシャルロッテの顔を外さなかったのはマルセルも同じで、どんどん位置が高くなっていく彼女のあどけない顔を追って、彼は首を痛そうしながら見上げている。
 そしてついに、体長一四四メートルのシャルロッテの巨体が、その場で屹立する。
 またもマルセルは足を引く。今度はシャルロッテも見逃さなかった。
「彼は今、逃げ出そうとしたわ。まあ、予想のできていたことよ」
 カリンが冷徹に言い放つのを聞いて、シャルロッテは目頭が熱くなるのを感じる。やっぱり、無理だったんだ。今までの関係を崩さないで、ずっとずっと、騙すように付き合い続けていれば良かった。シャルロッテはそう思った。
 しかしそんなシャルロッテの思考を遮るように、カリンがつぶやく。
「だけど」
 そう短く切ってから、カリンが今度は唇を噛むマルセルの顔を見た。そして続く言葉をつむぐ。
「彼は逃げ出すのを留まった」
 ここでようやく、二人はカリンの意図を理解する。確かにこれは試練だった。しかし、シャルロッテが先走ってダメになってしまわないように、二人の距離が穏やかに近づくよう取り計らってくれている。
「じゃあ、今度はさっきみたいに座って見せて」
 シャルロッテは先ほど立ち上がったばかりの巨体でゆっくりと、身じろぎしながらその場に腰を下ろして足を崩した。先ほどのように、大気と大地が揺れ動く。しかし、カリンが動じないようにマルセルも同じく動じない。
「マルセルさんは、シャルの膝にその手で触ってあげるといいわ。ほら、そんな遠くては、届かないわよ、もっと近づいて」
「あ、ああ……」
 マルセルは言われた通り、少しずつシャルロッテの膝に歩み寄っていく。ここまで巨大なものに近づくのが初めてだったマルセルは遠近感が狂ってしまって、手探りで何かを探すように前へ前へと進んでいった。
 そして、探していたものに触れる。それは壁ではなくて、確かに人肌だった。血液が循環していて、熱を持っているのが分かる。
「でかいな、シャルは」
「えへへ……」
 シャルロッテは、マルセルの率直な感想に照れながら、自分の膝に感じた小さな感触を噛みしめる。小さすぎてむずがゆい。それでも確かに、触られた感触がそこにはあったのだ。
「それじゃあ、シャル。今度は手を差し伸べてあげて。彼は、登ってきてくれるかしら」
 もはや自分が何者なのか隠す気がないカリンは、箒で先にシャルロッテの胸元まで飛び上がった。
 迫ってきた巨大な手にマルセルはやや驚いた様子だったが、そこから生えるように伸びる指に手をかけて、その手のひらに乗った。それがぐんぐん上へと動き出しても彼は声を上げることなく、手のひらの上でシャルロッテに向けて歯を見せて笑い、Vサインを作った。
「まあ、合格でいいんじゃないかしら。この体格差には、少しずつ慣れていけばいい」
 シャルロッテの胸元まで上がった手のひらのすぐそばで、箒に跨ったカリンが柔らかな面持ちで、誇らしげに言う。
「では改めて……私は魔女のカリン。この森に集う人ならざる者をまとめ上げているわ。この子は巨人のシャルロッテ。この森の力仕事担当よ。そして……人間のマルセル、あなたを私たちの家族として認めるわ」
「よろしく頼むよ。シャル、カリン」
 満ちた月と空に散らばる星たちに見下されながら、人間の青年マルセルは、巨人の少女シャルロッテの家族として認められる運びとなった。

 


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