チキータの遺産第三幕 揺らぐ心◆1

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 西門からロシュエルの城壁外へ脱出を果たし、ティスニア帝国とリコテスカ王国の間に広がる河川の岸まで来ると、そこには伯爵家の船が待機していた。一旦小舟を通し、フラビオたちをその船へと案内したのはマルティーニ伯爵家に仕える者だった。大きな船が入港できるような港はなく、ビークルは捨て置くほかないと思ったのだが、小舟を船の中にしまったあと、ハイメが魔法で持ち上げて乗せてくれた。
 本来は広く長い橋がかかっているのだが、豪快に破壊され跡形も残されていなかった。明らかに意図的なものである。この河川の流れはゆるやかだが幅が広い上にかなり水深があり、船がなければ簡単に渡ることはできない。
 船内はフラビオとチキータのせいで、いつかの曇りのときのようにどんよりとした空気を漂わせている。片方は己の判断ミスを恨み、もう片方は消せない罪を背負った自身を責める。
 さすがにそんな二人に話しかけるほど図太くないイラーナは、それでもこんな雰囲気に耐えかねて、二人から距離を置いて壁により掛かる茶色のローブの男性に声をかけようと近寄った。
「商人ギルドのマスターの娘か……いや、妹だったかな。まっとうな商人とは言いがたい商売してるね。信頼を放棄した上でそんなに依頼が舞い込んで来るのは、その実力ゆえか、それとも」
「わ、私は商人じゃねーし。わたしゃ金がもらえるならどんな奴の味方にも敵にもなってやんよ」
 ゆったり世間話でもしながら気を紛らわそうとしたのに、ハイメの方から話しかけられてイラーナは取り乱す。しかも人につつかれたくない部分に触れられ、気が気でない。なんせ、この男は呼吸をするように相手の心を読むのだから。
「商人には、一定の信頼がないと客は寄ってこないものだよ。普通、商人ならば多少の損をしてでも信頼を買おうとする。相手と長い付き合いでいられることが、長い目で見れば見るほど得に繋がることが多いからね。商売相手がいなくなってしまったら、いくら売りに出せる商品があったとしても、儲かることはない」
「だから私は……」
 ハイメはフードを取り、銀髪の間から覗く鋭い蒼眼で射抜きながら、イラーナの反論を遮る。
「賞金稼ぎだって、商人みたいなものさ。大きいくくりの中ではね。でも、なんでかな、キミからは伯爵家からは絶対に見放されないという大きな自信を感じる。不思議な話だね。心というのは常に揺らぐもので、絶対なんてあり得ないのに」
 イラーナは何か適当なことを言って話を紛らわそうとしたが、下手に開いた口を滑らせる可能性も考えて、そのまま口をつぐむ。今ここで何かを言ったら、自分がまとう全てを剥がされてしまうような気がしていた。
「まあいいや、なんにせよ、チキータを危険視していないことは助かるよ。僕に対しては多少の警戒は感じるけど」
「なに言ってんだよにーさん。あんたにも心は開いてるって」
「ふふ、下手な冗談だな。僕から話しかけた途端に、心を強く閉ざしたのを感じたよ。本当は、世間話でもしてゆっくり船旅を楽しもうと思ってたんじゃないのかい?」
「ちぇっ……たりめーだろ。まるで息を吸って吐くように心読まれてたんじゃ、肺の中の空気全部持っていかれてるような気分になるぜ。警戒しない馬鹿がいんのかよ」
 イラーナの態度の変わりようと物言いに、ハイメはくつくつと笑った。それはひどく不気味なものだ。
「おや、警戒する必要のある対象に、安易に近寄った馬鹿は誰かな」
 かつてイラーナは、年老いた氷のファミリアの騎士を相手に依頼を受けたことがあった。その老騎士は街一番の読心魔法の使い手だと噂で名高い人物だったので、高い報酬を要求するのは難しいと考えていたが、わりとあっけなくて拍子抜けしたことがある。実際、読心魔法というのはかなり高度な魔法で、精密なマナの操作能力が必要だ。
 厳しい試験と訓練をくぐり抜けてきた宮仕えの魔族たちでさえ、感情をなんとなく読み取るのが精一杯、良くて、イメージの断片を掴みとってパズルのように組み合わせる程度。
(そのパズルを解く正確さと速さがハンパねーな……この野郎。しかも一度に相手から得てるイメージの量も桁違いだ)
 その老騎士と同じ感覚で近づいたのが間違いだった。イラーナが心の中でハイメに評価をつけていると、彼が目を細めて冷たく笑う。イラーナにはそれが恐ろしくて仕方がなかった。
「それとずっと気になってるんだけど」
「なんだい」
「どうしてキミの思考の中には、アンナのことがちらついているんだろうね?」
 ぎくり、とイラーナが固まる。ハイメには隠し事ができない。伯爵から話を聞いてから、ハイメには訊ねられるだろうとずっと覚悟していたが、いざ彼女について訊かれてしまうとしどろもどろになってしまう。
 イラーナはいつも交渉で報酬を釣り上げているので、口なら達者なつもりだった。その過剰な自信が打ち砕かれたことによって、余計に焦りが生じている。
「それは……いや、隠す気は毛頭ないんだぜ、けどよ、私だって伯爵伝いで少し話を聞かされただけだよ。だから詳しい話は直接伯爵からあるはずだって。私から話せる内容はなにもないよ」
「そうかい……それは非常に残念な答えだ」
「あー、私ちっとばかし外の空気を吸ってくる。嫌だよなあ、水のファミリアだってのに船酔いだなんて。あはは」
 会話の雲行きが怪しくなってきたことを察知したイラーナ冷や汗をかきながら小走りで彼から離れていく。自分を睨むハイメの視線を背に受けて、逃げるように部屋から出て行った。

 

 たどり着いた王国側の岸に降り、別の使者に案内されてフラビオたちはマルティーニ伯の屋敷へ足を踏み入れる。屋敷の客間に通され、フラビオたちはしばし休息の時間を得た。どのくらい持つかわからないが、これでしばらくは安心できるだろう。
 ティスニア帝国とリコテスカ王国は幅広い川がその間に交通の障害として存在していながら、一本の橋でしか結ばれていない。規模の大きい橋をかける必要があるので、金銭的な問題が大きい。ちなみにそれが先ほど落とされていた、伯爵領とロシュエルを繋ぐ橋。
 また、領地のほとんどが陸で、海と接する面積が少ないティスニア帝国は、船の製造や流通に関しては全くと言っていいほど無関心だ。
 さらに海に棲む種族は陸の種族とあまり交流を持ちたがらない。費用に見合う利益を出すことができなければ、関心を持たないのは当然のことだ。
 もし川を渡って追っ手が来るとしても、それは小舟に乗った一個小隊にも満たない小さなチームだろう。
 あの橋を渡らずに王国内に入るには、ロシュエルをさらに北上して帝都さえ越え、大陸最北端でやっと繋がっている陸路を使うしかない。風のファミリアならあるいは飛行していくことが可能かもしれないとも考えたが、それはハイメによって否定された。
 いくら風のファミリアが自分自身だけを運ぶとしても、数回はどこかに着地して休養をとらなければ体内の魔力がなくなり、命が尽きてしまうという。昨日驚異的な魔力と繊細な魔法操作を見せたハイメも、実は何度か休憩を挟んでいたようで「あの川の幅じゃ、僕にだって不可能だ」と言っていた。
 次にこのリコテスカ王国マルティーニ領は、マルティーニ伯爵がすべてを取り仕切っている。
 そもそも、各地の小国たちが隣り合う小国と同盟を重ね、知らず知らずのうちに出来上がっていたのがリコテスカ王国だ。王国とは言うものの、領地の行き来には各領主の発行する通行証が必要で、この発行手続きが面倒な上、頻繁に更新が必要と維持するのも面倒。リコテスカ王国民にとって自分が暮らす領地以外に出かけるのは、外国旅行にいくも同然である。
 このような事情もあり、リコテスカ王国は国一つをまとめている王の力が領主にほとんど及ばない。つまり仮に、リコテスカ国王がティスニア帝国との友好を維持するためにとチキータの奪還及び帝国への引き渡しを考えても、マルティーニ伯爵家で匿われている間は安全が保証されるといってもいい。
「だからといって、楽観できる問題でもないのは事実だよなあ。いつまで匿ってくれるかもわからないし、伯爵も全面的に協力してくれるのか信じ切れないのが正直な感想だな」
「クレト様は、何があってもチキータ様を投げ出すことはないでしょう」
 フラビオが独りぶつぶつと、あまり屋敷関係者に聞かれるのはよくない評価を下していると、まさに今客間にやってきていた伯爵家の関係者に聞かれてしまったようだ。ドアの向こう側からしわがれた声がして入ってきたのは、短く白い髭を生やした魔族の老執事だった。
「あー、いや失礼。失言だ、聞かなかったことにしてくれると助かる」
「いえいえ、こちらこそ、盗み聞きのような真似をしてしまって申し訳ない」
 フラビオたちがお互い頭を下げあってわだかまりを解消すると、改まって老執事が口にする。
「それはさておき、チキータ・ロサリオ・ド・ラ・マルシュ様、並びにそのお連れ様方。当家の当主、クレト様が皆様とお話したいとのことです」
 このとき、ハイメは少し眉をひそめていたが、老執事がまさか自分のせいだと気づくことはなかった。


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