チキータの遺産第三幕 揺らぐ心◆6

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 その日の夕食も、次の日の食事も次の日の食事も当然のように屋敷の使用人が作ってくれている。手間賃さえも取らないのでもちろんそれは助かることだったが、料理好きのフラビオは少しの物足りなさを感じて日々を過ごしていた。
 だが今のフラビオには、その物足りなさを埋めても足りないほどの大きな問題を抱えている。チキータのことだ。
 伯爵に訊ねたところによると、すでにテネブラエが復活したという話は噂となって世界中に散っている。個々で討伐隊のようなものまでもが組まれているというので、もはやチキータの命を狙う者はカシアとコラソンだけではないことは火を見るより明らかだった。
 敵は、世界全体なのだ。彼はなんとかして早いうちに打開策を練らなければならなかった。
 しかし、ティスニア帝国とリコテスカ王国から逃れるだけでも精一杯だというのに、世界というものはその二カ国だけでは成り立っていない。
 帝国と王国が世界を大きく二分しているとは言え、ティスニアの北には主に精霊族の棲むケーリンバート山岳、東には主に獣人族の棲むウェレア峡谷がある。どこもテネブラエのことには敏感で、一刻も早く脅威を除去しようと考えていつ動き出してもおかしくない。
 南には水棲の多種族が混在する海が広がっているが、海のほとんどはセイレーンの支配下だ。セイレーンはテネブラエに関する殺戮に無関心だが、そもそも陸上の種族をよく思っていないので交流を断絶しており、沖に船が近づいたときにはその船を沈没させるという。そもそも海上で生活するということ自体無謀であり、逃げこむ場所としてはあまり向いていなかった。
(いや、そもそも逃げ出そうって考えをし始めることが間違ってんな。コラソンを置いていくなんてできん)
 フラビオが様々な視点から考えを巡らせつつ屋敷を徘徊していると、明るい日差しが差し込んでいる渡り廊下に出た。
 それはまっすぐ緑の広がる中庭に通じている。中庭には白色系の石造りのアーチやテーブル、イスなどが置かれていて、考えごとをするには最適な場所とフラビオは思った。
 今のフラビオはとても疲弊している。ずっとどんよりした気分だった。今まで部屋の中にこもりきりだったし、気分転換にはいいかもしれない。そう感じて中庭に出て、芝生に寝転ぶ。
 緑の芝生は柔らかにその背中を迎え入れ、春先の太陽の日差しは優しく彼の肌に降り注いだ。目を閉じる。春の匂いが、フラビオの呼吸に合わせて彼の体内に入り込み、嫌な気持ちを全部引っ張って持って出て行ってくれるような気がした。
 なんだかとても、なつかしい感じがする。
(いつまでも、ずっとこうしていられたらいいのにな)
 賞金稼ぎを始めた頃が記憶の奥底から浮上した。孤児院から独立してすぐにフラビオは賞金稼ぎになって、ずっとそれを生業にしてきた。野うさぎを狩りに行くだとか、獣に注意して木の実を取りに行くだとか、子どものおつかいレベルの仕事からスタートして、今では仲間を集めて竜を狩りその鱗を売りさばいたり、腕試しがてらたった一人で猛獣たちが群れを成す危険地帯に生える薬草を取りに行って報酬を独り占めしたこともあった。要人の警護から暗殺まで引き受けたことだってある。
 そして一番記憶に新しい大きな仕事といえばやはり、ケーリンバートの精霊族とティスニア帝国軍及び周辺地域の自警団で大規模遠征隊を組み、ヨートゥンを撃退したときのことだ。
 ヨートゥンは体長数十メートルを越す巨体を持つ氷の怪物で、その両足は家々を軽々と跨ぎ越し、その両拳は一撃で大地を穿つと言われる。周期的に大陸の北側に現れる自然災害に近い存在だった。その報酬は町を一つや二つ作ってもありあまるほどの膨大な額だったが、参加者たちの治療に回しても足りず、多くの重傷者と死者、そして大きな経済被害が出た。
 歴史上最高の魔力保持者と言えばチキータなのだが、それに次ぐ魔力量を持つと言われた水のファミリアであるイラーナも当然その場の支援・治癒に手を貸していた。しかし、あのときは今まで以上にずっと寒冷で、ヨートゥンの力も強まっていた。そのせいか、彼女の魔力が尽きかけるという事態まで起きたのである。
 毎回倒すことを目標に掲げているものの、今回はそういう事態もあってヨートゥンを倒すことは叶わず、いつもと変わらず撃退という形に収まった。
(思えばそのとき、何も手に入ったものがなかったからという理由で……でもって生還祝いという名目で今のキャンピングビークルがカシアさんから贈られたんだよな)
 フラビオの知るカシアは情け深い人物だった。そして強い。実力も権力も伴っている。今の世界体勢において、重要人物の五本指に入るといっても過言ではない。フラビオが彼女を頼れば、いつだって手を貸してくれた。そんなカシアが敵になるなんて、今まで一度もフラビオは考えもしなかった。敵に回るなんて絶対にあり得ない。そんな無意識な確信の中に閉じこもっていた。
 思い出していくうちに、ついつい湿った思いに片足を突っ込んでしまった。せっかくの中庭の景色が台無しだ。それでも、春の匂いは健在だった。
 フラビオはいつの間にか重くなっていたまぶたを一生懸命持ち上げようと、必死の抵抗をする。しかし、まぶたをぐいぐいと押し下げようとするこの力は心地よさから来るものだ。
 それなら、抵抗する必要はないだろう。フラビオはそう思って、春の匂いが誘う闇の中へ意識を沈めていった。


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