チキータの遺産第四幕 逃げからの脱却◆2

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「分かった分かった。負けだよ、二分の一がミリシーに預けてあるよ」
「じゃあお前さんはウチに預けてる二倍は財産があるってことだな」
「そうだ。ことが済んだら十枚でも二十枚でも引き下ろしていけばいいさ」
 そう言って降参のポーズを取ったあと、フラビオはため息とともに金貨二枚の支払いを認める誓約書にサインを済ませる。その間、イラーナは静かに目を閉じて黙りこみ、自分の世界に入り浸っていた。自分の支配下にある鳩を呼び寄せているのだろう。
 魔力を一定以上持つ者たちは、その力量に応じた使い魔を持つことができる。大抵は何らかの獣や、伝書として使う鳥などを使役するのだが、チキータの場合はハイメを使い魔としている。彼女でないとなせない技だ。ちなみにコラソンもティスニア帝国民としては珍しく――といっても小さなネズミだが――使い魔を持っていた時期があったが、力量が足りなかったからかすぐに契約が切れて逃げ出してしまった。
 アンナとハイメの孫であっても、やはりほとんど普通の人間に近いのである。唯一人間離れしているのは、怪力だという点だけであろう。
「うし。一旦ファフルを経由してココに来るから、だいたいあと二時間ってとこだ。でも手紙持たせて兄貴のとこに返すまでは一時間かからないから安心しな」
「どうしてファフルに?」
「そりゃあもちろん、あの自警団には根回ししてある仲間がいんだよ」
 へえ、とぼやいてから、フラビオは言う。
「にしても……ずいぶんと早いな。一時間だっけか。いくつも鳥類を使役してレンタルを営む知り合いがいるんだが、そいつが貸してくれる一番早いのでも伯爵領から協会本部までは三時間かかるぞ」
「私の鳩は他のヤツらの鳩とは格が違うのさ。ま、詳しいところはあとのお楽しみだよ」
「ふーん。まあいいや、ありがとな」
 フラビオたちは、とりあえず帝国に戻るための足を探していた。そこでイラーナに相談したところ、非常に安全なルートを知っているというので、彼女に頼ることにした。
 詳細は実行に移すまでどうしても話せないと言うので少しばかり怪しんだものだが、交渉の都合上、成立してからではないと打ち明けることのできないものは少なくない。イラーナは金には忠実なのだ。初っ端から騙したりはしない女である。あるのはただ、より高額の報酬が敵対勢力から出たときの寝返りだけだ。
 そう思案していたフラビオはふと思い立って、銀貨を積み重ねた山をテーブルに出し、イラーナ側に押し出した。
「二十枚ある。この誓約書とは別件だ。ただの俺の気持ちだよ。あと、ファフルにある俺の家はどうせもう使えん。勝手にもらっていけ。鍵はぶっ壊されちまってるからかかってない」
「ほー、お前さんも私の扱いがうまくなってきたねー」
「お前に裏切られたら痛いじゃ済まないからな」
 フラビオは、そんなやりとりを見届けて部屋から立ち去ろうとする細身の姿を視界に認めると、手をイラーナに向けてひらひらさせてから足早にその姿のあとを追って廊下に出た。そしてその細身の男に並んで歩く。
「なあ。本当に俺が仕切るべきなのか?」
「ああ」
 中庭でのチキータとのことがあって、フラビオも同時に覚悟を決めた。
 最優先に行うべきことは、カシアを止めてコラソンを連れ戻すことだ。最後の最後までコラソンのことはどうしようか迷っていたのだが、チキータもコラソンとの再会を望んでいたのでそういう結論に至った。
「チキータは指揮には向いていない。あのときは……僕が指揮をとっていた。それでチキータが実力で、クレトが権力で潰す役割だ」
「ならハイメが仕切るべきだと思うのだが」
「僕も本当は……いや、僕にそんな資格はない。僕はキミが思う以上に、感情に流されやすい性分なんだよ。きっとヘマをするからね」
 装飾の満ちた長い廊下でハイメが立ち止まり、振り返って言った。フラビオは肩をすくめて笑い飛ばす。
「はっ、まさか。冗談はよせよ」
 しかしフラビオの態度とは相反して、ハイメの目は鋭く細くなり、声を低くする。彼はひどく落ち着いていた。じっといつまでもその顔をにらみつけていても、表情に一切の乱れを生じさせない。フラビオにとってはいつものハイメだった。
「いい機会だから教えておく。暗黒時代の世界の混乱を首謀したのは僕なんだ。しかも理由は、怒りというしょうもない感情に身を任せた結果だ。そしてあんなにもチキータの心を傷つけてしまった。最低な男だよ、本当に。いくらでも僕に失望するがいいさ」
 フラビオは意味を理解するのに時間がかかった。そして疑問符を頭の上に浮かべる。
 無感情で冷徹。だがたまに感情が垣間見える、そんな奴。これがフラビオが勝手な確信の中で組み立てていたハイメのイメージだ。
 だが、これは間違っている。
「ここで僕の父の自慢話でもするとしよう」
「あ……?」
 突然浮上したハイメの父という存在に、フラビオはぽかんと口を開けて戸惑っている。ハイメはそんなフラビオなんて気にもとめないで語り始めた。
「僕の父は偉大な人だった。人間としては初めて川を渡り、ここ、リコテスカ側に来た人間だった。もうかなり昔、まだ戦争が行われていた時代さ。当然だけどね。それで僕の母と出会った」
 と、ハイメが話すのをやめ、フラビオの表情を伺うので彼は続きを促す。ここまで話されてやめられたら気持ちが悪い。
「続けてくれ」
「話しても仕方がないから詳しいところは省くけれど、そういう二人のおかげというべきか二人のせいというべきか、ともかくそういうことで僕は人間と魔族のハーフとして生を受けた。父は研究が好きでね、専門分野は魔法学。マナクリスタルからマナを抽出してエネルギーとして使う方法を編み出したのは僕の父が最初」
 マナを抽出する技術は、人間の生活水準を一気に押し上げた。
 そして終戦した今は人間の間だけではなく世界中がその影響を強く受けている。今やビークルもライトも、洗濯機も湯沸かし機も、そして船までもがその技術で動かされている。その技術を中心に、世界が回っているのだ。もし突然、この世からマナ抽出の技術が失われたら、世界は大混乱に陥るだろう。
 その抽出技術を発明したとされる人物は、歴史の教科書にも魔法学の教科書にも名が載らないなんてことはないくらい有名だ。孤児院育ちのフラビオだって知っている。ドクター・マリノという人間だった。
(ドクター・マリノの息子だったのか……?)
 フラビオは教科書に大きく載っている薄髭男の顔と名前を思い浮かべた。しかし、ドクター・マリノが真っ先にチキータに殺されたという話もまた有名である。
 もし本当にハイメがマリノの息子であるなら、ひどくチキータを恨んでいるはずだと思った。
「……違う、違うんだ」
 だが、そんなフラビオの思考を遮るように、まるで苦しんでいるかのような、喉から搾り出された声がハイメの口から漏れる。
「マリノは完成しかけていた僕の父の研究を盗んで、父を殺したんだよ! チキータに殺してもらって、かなりスッキリしたね、本当に!」
「そう……なのか……」
 ハイメが茶色のローブを乱れさせて叫んで、フラビオは気圧される。
 また、フラビオのイメージとは異なるハイメの顔が垣間見え、だが氷が解けてなくなるように消えていってすぐ無表情になった。
 否、そうではないのだ。フラビオは悟った。ハイメは元から感情の起伏が激しい男で、無理にそれを隠している。なんでもないような顔をして、自分の心の中だけにそれを押しとどめているのだ。
「世の中にはマリノの……あの憎たらしい男の発明品が溢れている。だから全部壊してやろうと思ったのさ。チキータも相当怒っていたしね。チキータの力を借りればそれは簡単なことだった」
 ハイメの父は、チキータにとっても養父に当たる。自分を育ててくれた親がそんな風に殺されて、黙っていられないのはわからなくもなかった。
「だから僕は父の残した研究レポートをつぎはぎして、本来魔法を放てないチキータの力を制御する指輪も作った。それが、あの指輪だ。あの指輪は……いや」
 ハイメは何かを言おうとして……冷静さを取り戻して黙る。そして歩き出した。
 フラビオもそれを追って彼に並んで伯爵邸の廊下を歩いた。まっすぐ見据えても壁は遥か遠くにあり、清潔感のあふれる白い壁はどこまでも続いているように思えた。
 チキータ曰く、指輪は使用者にも強い負担がかかる。だからハイメは指輪を手放した、そう言っていた。
 もしそれが精神的苦痛によるものなら、話したくないのかもしれない。
「使い方を聞いたのかい」
 視線をフラビオに向けないままハイメは会話を続ける。
「まだ聞かされてない。いずれ伝えることになるかもしれないとは言っていた」
「カシアは本気のチキータと互角にやり合えるくらい強いよ。使わないと、勝てないと思うね」
 そう言っておきながら、ハイメはフラビオに使い方を今ここで伝えようとはしなかった。チキータが説明で覚悟という言葉を選んだ通り、不用意に使う代物ではないのだろう。
「本気のチキータ……な。あいつの本気ねえ……」
「……僕は、最低な男だ。ことが済んだら、甘んじて罰を受ける」
 何に対する返事でもなさそうに吐き捨てられた言葉を聞き届けると、ハイメに並んで歩く足を緩める。その言葉の意味するところを理解できないまま、やがてフラビオは廊下の真ん中で立ち止まった。
 どうにも納得がいかない。
 チキータ本人が言うには、もうとっくに記憶はすべて取り戻したと言っていた。暗黒時代当時を記録した書籍によれば、あるときは冷酷に淡々と、あるときは狂気の沙汰で暴虐に何もかも破壊、そして殺して回ったとあるし、イラーナを含む知り合いの魔族からの情報も概ねそんなところだ。
 記憶が戻れば性格までもががらりと豹変するものだとばかり思っていたフラビオは、大きな疑問を抱えていたままだった。


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