チキータの遺産第四幕 逃げからの脱却◆5

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 辺りの空気が固まる。フラビオはしばらく意味が理解できなかった。長い沈黙の中、彼らを乗せたセネルはまっすぐに飛び続け、やがて 帝国でも一位二位を争う大きさの貿易都市の城壁にある検問を軽々とくぐり抜けるどころか上から通り越し、フラビオたちはその上空にいた。
 フラビオの一音を最後に、皆が驚愕して誰一人として口を開こうとしない。耐えかねたイラーナが、困ったように言葉を発する。
「あー、皆さん方、検問通り過ぎしまいましたぜ……? どこに降りればいいかなー……なんて、ははは……」
 そのイラーナの発言が着火剤になったかのように、フラビオは思いを爆発させてハイメを問い詰める。
「詳しく話を聞かせろ! どういう意味だ!」
「悪いけどこれ以上はわからない。その子が危機的状況にあるというだけだ」
「場所はどこだ!」
「どこかの地下」
「もっと詳しくわからねえのか!」
「もっと近づかないと分からない」
「聞いたか、イラーナ! もっと高度を落とせ」
 フラビオはニコラスとコラソンのことで頭が一杯一杯だった。もはや高いところが怖いなどというちんけな感情はすっ飛んでいる。目先ばかり見て声を張り上げるフラビオにチキータは心配そうな視線を送っていた。
「馬鹿を言わないでくれよ、これ以上下げたら誰かの目に止まっちまう。上に私たちが乗ってるのも分かっちまうよ」
「いくら欲しいんだ、言ってみろ。いくらでも出そうじゃないか」
 背後から聞こえる切羽詰まったフラビオの声に、イラーナは申し訳なさそうに答える。その声は珍しく真剣だった。
「これに限っちゃ、例え全財産を出されようと対応してやれない。私はお前さんたちだから、セネルを見せたんだ。これは金じゃなく信用の問題だよ。この子に乗ったままロシュエルの広場に着陸したりするのは御免だね。一旦城壁の外、郊外に出てからじゃないと嫌だよ」
「くそ……」
 フラビオたちは本来なら、ロシュエルの外で一度地に足をつけ、警備が薄くなる時間を狙って門から突撃し奇襲する予定だった。だが、一刻を争う事態が現在進行形で進んでいるというのだ。それをみすみすと見逃す気にはなれなかった。
 再び、しばらくの沈黙。ただソリアードが風を切ってロシュエルの上空を旋回している音だけが四人の耳に残り、頭の中を行ったり来たりしていた。
「……フラビオさん、指輪を出して」
 やがて、チキータがその沈黙を破る。彼女にはとてもじゃないが似合わない、凛々しさに引き締まった顔がそこにあった。フラビオが指輪を取り出す。色のない透明な結晶が乗せられた、銀の指輪だ。
 チキータはそれを確かに掴みとり、両手で包んで目を閉じる。みるみるうちに今まで透明だった宝石が緑色に染まって、淡い光が小さな手の内から漏れていた。チキータの片眼と同じ、緑だった。
 準備ができた、と言わんばかりの顔で瞳を開いたチキータ。しばらく何か言いたげにしていたハイメが、チキータをちら見して手短に一言。
「やる気なのか」
「この状況を打破できるのは、恐らく私しかいない」
 ハイメはまだ何か言いたげにしていたが、それ以上何も言うことはなかった。ハイメがここ飛び降ればコラソンらの居場所を読心から特定し、カシアを止めに行くことはできただろう。しかし、カシアの力にはハイメでも足元に及ばないのだ。一人きりで殴り込みに行ったところで返り討ちになるだけであることを、ハイメは自己の過去の経験から知っている。
「私、自分の力は何かを壊すか、殺すためにしか使うことができないと思っていました。でも、フラビオさんやコラソンさんと出会って違うと気づけた気がします」
 チキータが依然引き締まった顔で自分の気持ちを表明しはじめる。真剣なその面持ちに、フラビオとハイメ、そしてイラーナは背を向けながらも静かに聞いていた。
 とくにハイメは、暗黒時代のときのことがあって、この発言に使うことに思うところがあるのだ。これはハイメに対する当てつけではない。チキータの本心だ。それはハイメ自身も分かっている。
 だが今まで殺戮にしか力を使わせなかったのはハイメだった。このチキータの気持ちを聞いて、ハイメはひどく反省していた。自分が受けるべき罰は、とても重くなければならない。
「力というものは、何かを守ることにも使えるんですね」
 言いながら、チキータがフラビオに指輪を返した。チキータの手を離れても、指輪は輝きをなくすことはない。
「フラビオさん、自分の願いを思いながら、この指輪をはめてください。私はその願いを原動力に力を使う。助けたい人、救いたい人。何でもいいので願ってください。私の心、確かにあなたに預けます」
 チキータが微笑む。だがすぐにまた顔を険しいものにして……彼女は指輪を、心をフラビオに預けた。フラビオはまるで何かに操られているかのように体がゆっくりと動き、受け取った指輪をその指にはめる。自分の思いに重なって、チキータの思いが流れ込んでくるような気がした。
「……ッ!」
 指輪の緑が強く輝き出す。とても激しい光で目が眩んだ。まるでチキータの中に閉じ込められていたその力を引っ張りだしているかのように、しばらく輝く続けた。光に満ちた視界が晴れたときには、チキータはセネルの背から飛び降りていた。
「おい! どういう……!」
 フラビオが身を乗り出そうとするが、
「大丈夫だ。彼女は飛べる……そして今の彼女の読心魔法は、僕より優れているだろう」
 と、ハイメが引き止めた。理解できないといった表情のフラビオに、ハイメは付け加える。
「あの指輪は、チキータの理性や感情を犠牲にして魔力操作の技量に変換する指輪なんだ。理性や感情が削られて失われた原動力は、キミの意思の一部で補われる」
 それを聞いて、フラビオはチキータが『命ではなく心を預ける』と説明したこと、ハイメが『自分の怒りという感情でチキータを深く傷つけてしまった』と深く後悔していた理由を同時に理解した。


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