午前0時を回る頃2 当日

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「それじゃ倉井先輩。お疲れ様ですー」
「美沙子さんもお疲れ様。お先に失礼するわね」

 十月二十二日。今日は仕事を少し早めに切り上げさせてもらい、ケーキ屋さんに寄った。予約しておいたケーキを受け取って自宅に車を走らせる。

 今日は私の従妹二人を家に呼んでいる。彼女たち二人の誕生日会を開くために張り切って自宅を飾った。
 いつもなら私のほうが早めに二人の家に向かい、おばさんの許可を得て二人の家を飾っている。
 しかし今年はあいにくおばさんにどうしても外せない用事があるらしく、私の家でやることになった。

 私は一人暮らしだからなんだか自宅も喜んでくれている。そんな気がしてくるほど私は浮かれていた。
 二人一緒の誕生日会といっても双子姉妹というわけではなく、ただ誕生日が同じというだけだ。
 今日の日付をもって姉の千里は十六歳、妹の千春――春ちゃんは十二歳になる。
 一人っ子だった私にとって二人は実の姉妹同然の関係。
 いつも仲良しで、私が社会人になった今でも月に何度か遊びに行く。
 とくに春ちゃんは背が小さくて可愛らしくて、会うたびに強く抱きしめて千里に止められる。
「千春が死んじゃうでしょ」って含み笑いしながらね。
 こんなやりとり毎度のことだった。
 だからまさか今日、自分が殺されかけるとは思いもしなかった。

 思い切りはしゃぎ終わった夜、隣の布団がガサガサと動く。
 そして布団の中に潜っていた千里がそのまま私の方の布団に顔を突っ込み、話しかけてきた。

「パジャマパーティしよ、秀美姉さん」
「え? なによそれ?」
「んーとね、パジャマ姿でお話するの。こしょこしょと内緒話」
「そんなことくらいわかるわよ」

 正確には女の子たちが友達の家へ泊まり込み、パジャマ姿でウワサ話や遊びに興じるパーティのことをいう。二人きりではパーティにならないとか別にそういう決まりはないのだが、春ちゃんはすでに寝入っていた。安心しきった寝顔と小さな寝息がまた可愛らしい。

「秀美姉さんって好きな人いるの?」
「いたけど……フラれちゃった。私ってほら、仕事のほうが好きだから」

 前の彼にも、その前の彼にも「秀美は仕事熱心すぎる」と理不尽な理由でフラれた。
 前者は普通に社会人としての仕事。後者は高校での学級委員長としての仕事。

 会社でも高校でも仕事は積極的に請け負い、それを消化することで得られる満足感。これを自分自身を満たす燃料としていた。それほど、熱心に誰かのために働くのが私の生きがいであったのだからしょうがない。
 恋愛なんてその生活の息抜きどころか、重荷になってしまって彼とも自然と会わなくなる。そんなことが続いている。
 生きがいが仕事をこなすことだとすると、私にとっての最高の息抜きは今ここにいる二人の可愛い妹たちの笑顔を見ることだった。

「じゃあ……じゃあさ、私のこと好き?」
「いきなり何を言い出すのかと思えば。当然じゃない。好きよ?」

 と、そう答えたものの、話の流れからして私が考えている好きと千里が考えている好き。
 それに明確な違いが存在することに気付いたのは回答してしまったあとだった。あとから顔が熱くなり、耳が焼けて取れそうになる。
 でも、いきなりなんで?

「私たちって従姉妹だよね。従姉妹は四親等だから、私たち結婚できるよね?」
「結婚!? ……そりゃ四親等ならできるけども、私たちの関係じゃちょっと問題があるわよね」

 結婚という単語に思わず素っ頓狂な声をあげてしまい、春ちゃんの様子を伺いつつ小さな声で続けた。
 もうすぐ午前0時を回る。こんな時間に春ちゃんを起こしてしまうのは可哀想である。
 私たちは女の子同士なのだ。異性との恋愛さえ続かないのにこれはさすがに……。

「つまり、秀美姉さんは私のこと嫌いなの?」
「そうじゃないけど……」

 話が飛躍しすぎている。
 最初はそう思ったが、なるほど今日――ではなくて昨日は彼女の誕生日である。
 千里が十六歳、結婚が認められる年齢に達した日。
 千里はずっと前からこんな想いを私に寄せていたのだろうか。しかし女の子同士の結婚というのはどうなのだろう……。
 もちろん千里のことも好きだ。選択肢に嫌いなんてものはもちろんのこと、どちらでもないというものすらない。だからといって、結婚式を挙げる相手に選びたいかというと、当然ながらそれはまた別問題である。

「じゃあどうして? 千春が生まれてから、全然私のこと見てないじゃん……。私、すごく寂しいの。秀美姉さんに嫌われてるんじゃないかって」
「そ、そんなわけ……」

 そんなわけない。
 そう答えようとして口を噤んでしまった。この反応がまずかったんだと思う。
 実際、私は春ちゃんが生まれてから千里よりも春ちゃんの方を可愛がっていた。
 とくに春ちゃんが生まれる直前と、生まれた直後の二人に対しての温度差は、思い返してみると我ながら酷かったと思う。
 どちらかというと歳が五つだけ離れた千里よりも、歳が九つも離れた春ちゃんのほうが妹としての実感が強かったのだ。
 良く言えば千里は私の友達であると考えたほうがしっくり来た。

「そんなわけ……あるの? そういうこと?」
「違う……」

 今回は違うと言い切った。しかし違うという言葉の発音が小さすぎて、彼女の耳に届いたのかどうかはわからない。

 しばらくの沈黙の後、雨が降りだした。

 いつの間にか千里にダイニングキッチンに連れだされ、取っ組み合いの喧騒を起こしていた。

「お願い千里! やめて! そんなもの危ないでしょう!」

 降りだした雨が強さを増すに連れ、千里は狂っていった。
 親に見捨てられて必死に親を探す雛鳥のように、泣いて叫んで暴れまわっていた。
 そんな姿を見て、千里に対する恐怖、それと同時に私はそんなにもこの子に慕われていたのかと、抱きしめてあげたくなった。
 でも手に持ったフルーツナイフを捨ててもらわないと、それはさすがにできない。

「だって……。秀美姉さんが! 秀美姉さんがぁ!」

 これはただの脅しなんだと思う。好きだからって殺してしまうなんて話現実であってほしくない。
 しかしその刃は確実に私を狙ってきていた。

 だから防衛本能が働いた。

「あっ……うぐッ……!」

 何分かに及んだ取っ組み合いのあと、私は頭の中が真っ白になった。
 それを私はとてつもなく長い時間のように感じていた。思い返せば一分に満たなかったと思う。
 しかしたかが数瞬だったとしてもこんな殺伐の中では命取りになるはずだ。その間、千里に先ほどまでの勢いがあれば私の身体のどこかにナイフが刺さっていても不思議ではないんじゃないか。
 そう考えを巡らすうちに、もう自分は死んだのだろうと結論に行き着いた。しかしそのとき、真っ白になった脳内が晴れてくる。

 その霧の中に垣間見た、ナイフが刺さった対象。それは自分自身の身体ではなく千里の胸だった。
 銀のフルーツナイフは血塗れで、もはや彼女のパジャマ服を貫き、先端を体内へ侵入させていることは否定できなかった。

 次に私はナイフを握りしめている右手が繋がっている先へと恐る恐る視線をずらしそれを確認する。ナイフを握っていたのは私……間違いなく自分の身体だった。
 受け入れるまで多少時間がかかった。続いて先ほどのうめきが自分のものではないことにやっと気付いたのだ。
 千里はそのうめき声以降、何も喋らなかった。ただ口元が「姉さん」と動いたのだけは分かった。

「私が……殺した?」

 いや……そんな馬鹿な。あり得ない。そんなはずはない。
 だが何度確認し直しても、千里の胸にナイフを突き刺したのが私であることは疑いようがなかった。

「そうだ、救急車……! 救急車呼ばなきゃ……」

 やっとのことで身体に脳の信号が行き、救急車を呼ぼうと慌ててポケットを探り始める。だが今はパジャマなので携帯電話は入っていない。
 携帯電話は寝室、春ちゃんが寝息を立てる部屋にある。
 立ち上がり、寝室にそっと入ろうとしてハッとする。自分は返り血を浴びて血塗れで、振り返った先には千里がむごたらしい姿を晒して倒れている。
 これを春ちゃんが見たらどう思う? きっと怖くて逃げ出してしまうに違いない。
 事情を説明したって上手く伝わらないどころか、伝えたいことを上手く話せないに決まっている。
 どうすべきかすぐには決められなかった。

 一旦千里のそばに近づき呆然と立ちすくんでいると、寝室の方から布が擦れる音がした。

 そして恐る恐る眼球だけをそちらへ向けると、春ちゃんが私を恐怖の目で見ているのが分かった。
 本能的にこれはまずいと思った。口止めしなければと。
 そしてその本能に身を任せてナイフをまっすぐ突き出し、春ちゃんへと向かってしまっていた。

 いけない! 何をしているの私は! 大好きな春ちゃんを殺してしまってどうするのよ!

 私は春ちゃんに刺してしまう前に自分の心の叫びに目を覚まされる。ナイフは春ちゃんに接触するギリギリのところで右に逸れ、寝室とダイニングキッチンを隔てる壁へと突き刺さった。しばらく私はナイフを凝視したまま動けなかった。

 ナイフに手を添えたまま首だけで振り返ろうとする。すると私を侮蔑するような目で見ている春ちゃんが後ずさりしているのが視界の隅に入った。

 私が完全に振り返る前に春ちゃんは小さな悲鳴を上げてさっと背中を向け、走り去っていく。
 春ちゃんの光が失せたような目。それが脳裏に焼きついてしまった私には、もう彼女を追いかける気力さえ残っていなかった。

 春ちゃんのことはあとにしよう。とりあえず救急車を呼ばないと。千里が死んでしまう。
 春ちゃんはもう家の中にはいない。だからもう、明かりに照らされる血塗れの私を見て驚く人間はいない。
 そう思い立ち、寝室の蛍光灯を灯して足元を探った。そして見つけた携帯電話ですぐに一一九番し、従妹が“刺された”と話した。
 従妹を“刺した”と伝えるのが最も正しいのだが、そう言ってしまうのはなんだか怖かった。
 何度も落ち着けと係員さんに言われた。そしてもう救急車はこちらへ向かっているという。
 まだ安心はできないが、私はそれを聞いてほっと胸をなでおろした。
 もしかしたら千里は死ななくて済むかもしれない。

 そのときだった。

 ぐしょ濡れの春ちゃんがなぜか帰ってきたのである。これには驚きを隠せなかった。
 普通、殺人現場を見てしまったら怖くて戻れないのではなかろうか。
 そう考えている最中だ、春ちゃんに轟々と燃え盛るような感情が灯っていることに気がついたのは。
 春ちゃんの目は先ほどまでとは違う。それは恐怖する目ではなく、復讐を煮えたぎらせる猛獣のような目つき。
 自分より幼い少女がこれほどまでに自分を威圧できるものなのかと、半ば感心すら覚えた。
 私は完全に春ちゃんの雰囲気に気圧されて、何も言えなくなった。
 殺す気はなかった。今救急車を呼んだ。だから許してくれ。
 そう言いたかったが言えなかった。

 この後、何が起きたのかは曖昧にしか覚えていない。
 私はただただ憎しみに満ちた春ちゃんの目を見つめ返して、ごめんなさいと泣いただけ。

 目が覚めた時には私は病院にいた。
 身体は刺し傷だらけで、二日ほど意識を失っていたらしい。しかしすぐに救急搬送されたため命に別状はなかったという。
 だがそんなことは正直どうでも良かった。すぐに私は千里と春ちゃんがどうなったのかを聞こうとした。
 それを問おうと口を開いた途端。
 母さんが重々しく口を開くなり、春ちゃんが殺人容疑で逮捕されたというのだ。
 私は言葉を失った。

 裁判はその話を聞いてちょうど翌月の十一月二十四日に行われた。
 私はまだ完治しておらず、ところどころ包帯が巻かれた状態で入廷した。私のそんな姿を見て、傍聴席の老若男女は痛々しそうな表情を浮かべている。

「では続いて倉井秀美さん。証言台に立ち、『宣誓』からご自分の名前の行まで読み上げてください」

 春ちゃんの尋問が終わり、私の番になった。
 本来、尋問の席に子供を立たせるのは非常識だとされ、とくに法律で規制されているわけでもないのに暗黙的に制限される。
 しかし殺人の罪を問われる刑事裁判となると、そんなことには構っていられないらしい。

「宣誓。良心に従い、真実を述べ、何事も隠さず、又、何事も附け加えないことを誓います。倉井秀美」
 曖昧にしか覚えていない。これは本当だった。
 しかし曖昧にしか覚えていないといっても、それは裏を返せば大まかになら覚えているということだ。

 あの事件を大まかにまとめるとするならば、「姉を私に刺されて怒った春ちゃんが、私をメッタ刺しにした」
 そういった文章になる。
 先ほどの尋問で、春ちゃんもこれと相違のない証言をしている。
 弁護士が私に尋問を開始した。

「あなたは花岡千春が花岡千里を殺害する現場を目撃した。これは真実ですか?」
 しかし私は違うことを口走ってしまった。
「……その通りです。確かに千春は千里を殺害していました」

 本当のことを言えば殺人を犯した犯罪者になってしまう。だからここで嘘を言ってしまえ。
 私の自己防衛本能がそうささやきかけた。現場で私を引き止めてくれた自分の理性は、最終的には防衛本能に勝てなかったのだ。
 結局人間という生き物は、自分自身が一番可愛いのだということを身を持って知り、自らそれを証明してしまったのである。

 春ちゃんには殺人の罪が着せられ、少年院送致となった。
 皮肉にも、千里が命を失った十六歳になるまで少年院から出られないのだという。
 これが私が今まで春ちゃんにあげたプレゼントの中で、最悪の誕生日プレゼントだと思う。
 四年間もの間、彼女は少年院に閉じ込められることになるのだ。
 私はどうしようもない気持ちになった。
 自分はなんて劣悪で醜いのだろうと、強い吐き気に襲われた。

 三年と半年後、そろそろ春ちゃんが少年院から出てくる。
 そういう時期になっても私は結局誰にも真実を打ち明けることが出来なかった。

 あと半年で、十六歳になった春ちゃんが少年院から出てくる。
 春ちゃんはもう大人の顔立ちになっているのかな。身長も伸びたのかな。
 それでもあの可愛い笑顔は相変わらずだったらいいな。
 そう思えば思うほど後ろめたくなり、不意に浮かんだ謝罪の言葉はもみ消されていく。

 今更謝ったって許されるわけがないだろうと。
 せめて春ちゃんの笑顔を見てから転勤したかった。しかし、もう春ちゃんに合わせる顔がない。
 わざわざ春ちゃんの笑顔見たさに引き延ばしていた転勤のスケジュールも意味をなさず、私はあの事件から四年経つ前に引っ越したのだった。


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