ルテリカ王国物語第二章 心の傷に巣食う闇◆2

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 シェネット伯爵領からカルフォシア公爵領に抜けるには、北東にある関所を通るのが手っ取り早い。ケビンも奴隷商以外には用がないというので、カタリナを奴隷にする必要がなくなった今、西の地方都市セーエングレスへ行くのは無駄足だ。
 たびたびケビンが、独り言のように「結婚かあ……」などとつぶやいていたが、二人はもはや気にならなくなっていた。
「今晩はここで野宿にしよう」
「そうだな」
 しばらく街道を行ったところでケビンが提案し、フェリクスが賛成した。近くの獣道にそれて進み、身を隠すのに最適な場所を見つけて火をおこす準備をする。
 本来なら日の出を待ってからティリスの街を出発したかったところだが、祭りがあるせいで一般人の行き来も多く、秩序維持のための王国兵も普段より街入り口に多かったので、日中の行動は避けることにしたのだ。
 野宿するにも、普通はもう少し街道に出たところでするほうが獣に襲われることなく安全である。しかし三人の中にはレジスタンスの幹部もいれば魔女までいる。うっかり街道を通りすがった王国兵に見つかって声をかけられると、カタリナあたりがボロを出しそうなので、かなり樹木の茂った奥深くまで潜った。
 ここはよくクマが出るらしい。しかし、万が一クマに襲われても、武装した人間を相手にできる傭兵が二人もいるのだ。カタリナを守りきれないことはない。
「いったあ……」
 やや広い場所に出てケビンが焚き木を探しに行ったのち、カタリナが片腕の袖をまくりその白い肌を晒す。その腕を大きく縦断するように、赤い筋が走って血が滴っていた。
「なんだ? 枝にでもこすったか」
「袖も破けちゃったわ」
 当然ながらカタリナは、傭兵資格を持つの二人と違ってサバイバルに慣れていない。棘のように鋭い枝が道を阻んでいた箇所を通ったときに、腕をこすってしまったのだろう。
「ねね。使ってもいいかな?」
「……あまり大掛かりなものを使うなよ」
 カタリナがやけにうきうきした様子でつぶやき、フェリクスが返答。ケビンは、少し離れたところで焚き木に使えそうな枝を拾い集めていた。フェリクスはケビンのほうをちら見したが、まあ彼に見られても問題はない。賞金があの少年の目的だったのなら、とっくに密告されている。
「よっしゃ!」
 彼女は自分の傷ついた腕にもう片方の手を添えて目を閉じると、短く息を吸い、そして大きくはいた。
「えと……、〝光の精霊よ、癒しの力を集わせたまえ〟」
 彼女の足元に半径一メートルもない小さな魔法陣が展開した。大気が優しく揺れて彼女をなでていく。すると添えられた手に緑の輝く光が集い、みるみるうちに傷がふさがっていった。
 それは、魔法と呼ばれる力――科学を超えた魔女の不思議な能力だった。言霊で六種類いる精霊の一つないし複数に呼びかけ、人知の及ばない力を代行してもらう術である。
「よし、久しぶりの治癒にしては上出来ね。詠唱も結構短い」
 何年もブランクがあったわりには、すんなりと呪文が口から出てきた。
「なんかその呪文、同じ治療なのに何パターンもあるのな」
 フェリクスがささやかな疑問を口にした。彼が見た限りでは、五年前から彼女はほとんど同じ魔法を使っている。なのに、毎度詠唱呪文が異なるのだ。
「実はこの呪文に意味はないのよ」
「何? 意味がない?」
 フェリクスが怪訝そうに目を細めて復唱する。長いこと彼女と一緒にいるが、フェリクスには初耳だった。言われてみれば、彼女の母は何も唱えることなく治癒をやってのけていた記憶が彼の中にある。
「じゃあなぜそんなものを唱えるんだ?」
「魔法はイメージが重要なの。今回の場合、私が〝光の精霊〟と〝回復という現象〟を明瞭にイメージする必要があるんだけど……大抵の場合は呪文を口にすることで、それらのイメージを明確にする。ぶっちゃけイメージがちゃんとできちゃうんなら、何を唱えても構わないってわけ」
「便利なもんだな」
 そのやりとりを見ていたケビンが歩み寄ってくる。彼の小さな腕の中には、火をおこすには十分な焚き木があった。
「魔女によっては、何らかの絵柄の描かれたカードを手元に出すことで現象を想像して、無詠唱で魔法を使ったりするよね」
「そうそう! あれかっこいいのよね!」
「かっこいいってお前……そういう問題か?」
 補足説明したケビンにカタリナが意気揚々と同調。意気投合したようだ。フェリクスは無邪気に語り合う様子を見て、まるで子どもを二人見ている気分になる。それは仲の良い姉弟のようでもあった。
 確かにあらかじめ絵柄が描かれたカードを手元に出すだけで魔法を使うことができるのなら、とても便利だとフェリクスは思った。とくに、一瞬も無駄にできない戦場では。
 だがフェリクスの記憶の中にいるカタリナの母は、カードはもちろん、一切の媒体を用いることなく魔法を使っていた。それも何一つ唱えることなくだ。想像力が魔女としての力に直結するなら、彼女の母はかなり優秀な魔女だったことがわかる。
「ところで、魔法を使いたいがために、わざと怪我をしたんじゃないだろうな」
「そ、そんなわけないでしょ。それなりに痛かったんだから」
「それなりに、な」
 フェリクスはカタリナを適当にあしらって、焚き木を積んだ近くに腰を下ろす。そして、暖をとる準備をすべく火打ち石を取り出した。
 と、そこでケビンが疑問符を浮かべて口にする。
「あれ、火打ち石で火をつけるの?」
「それ以外に何がある」
「カタリナさんが火の魔法でつけたほうが早いはずだけど」
「あー……」
 フェリクスは彼の言葉を聞くなり、ばつが悪そうにしてカタリナを見た。彼女もなんだか居心地が悪そうにしている。自分の口で言え、というふうに、フェリクスが目配せする。
「私は治癒師になるのよ。だから治癒に関係しない魔法は必要ないもん」
「ええ……そんなことないよ。いろんな種類の魔法を習得しておくと便利だよ」
「魔女じゃないケビンに何がわかるのよ」
 ケビンのアドバイスを、カタリナは一蹴する。
「いやそれは……レジスタンスでいろんな魔女を見てきたから……魔女のみんなが言ってた」
「説得力がない。とにかく、私は治癒以外の魔法は使わないし、覚える気もないから」
「強情だなあ……もしかして、カタリナさんって治癒以外の魔法を試そうとしたこともないんじゃない?」
「よくわかったわね。もちろん、ないわ!」
 カタリナは大きく胸を張ってみせる。本来そこは自慢することころではないのだが、治癒専門というアイデンティティに、彼女は無駄に高いプライドを持っていた。さすがのケビンも呆れ顔だ。
「というわけだ。こいつがどうしようもないってことはよくわかっただろう」
 フェリクスは投げやりにそう言って、火打ち石をぶつける作業に戻ったのだった。


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